《1992年、ヘーゲル「哲学史講義」の新訳を発表。平易で明晰(めいせき)な訳文は画期的と大きな反響を集める》
従来の哲学書の邦訳は生硬で不自然、何度読んでも納得できない文章が多かった。それが哲学をとっつきにくいものにしたという不満があったんです。
哲学者・長谷川宏さんが半生を振り返る連載「持続する問い」、全4回の最終回です。(2024年4~5月に「語る 人生の贈りもの」として掲載した記事を再構成して配信しました)
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81年から、サラリーマンや学生の人たちとヘーゲルをドイツ語で読む会を開いていました。地域の読書会でも、東京都国立市の市民講座などでも、ヘーゲルを取りあげました。
「哲学史講義」の新訳は、彼らとの語らいで鍛えられ、背中を押されたのは間違いない。日本語としての読みやすさを心がけました。逐語訳でなくわかりにくいところは砕いて訳した。「即自」「対自」「措定」「悟性」などもあえて使わない。専門家以外はイメージを抱きにくいと考えたからです。
《98年、最も難解とされ、自身も最も思い入れが強かった「精神現象学」を新訳し、ドイツ政府のレッシング翻訳賞を受賞。折しも進みつつあった、ヘーゲル再評価の機運を担う》
近代を乗り越えようとする、70~80年代のポストモダン思想の流行の中、ヘーゲルは批判の矢面に立たされました。僕もフーコーなどは読んだけど、それ以降の思想家の議論はあまり関心がもてなかったな。近代をめぐる巨大な問いは、果たして過去のものと決めつけていいのかという疑問があった。
ヘーゲルは近代を、全体としては肯定的にとらえた人です。否定だけでは取りこぼしかねない現実の大きさ、不合理で非理性的なものも含め目をこらし見晴らす。そうやって歴史を発展過程として見ようとした。
翻訳はいま思い出しても大変な作業でした。やり遂げられたのは著作の魅力と、現代に再読される意義を感じていたからでしょう。
子の自由尊重 家族は「とりで」
《妻・長谷川摂子は保育園で6年働いたあと赤門塾で教え、文庫活動も経て、絵本作家に。「めっきらもっきら どおんどん」などはロングセラー》
お話ししたように僕は子育てが楽しくて、息子2人、娘2人の成長を夫婦で見守りました。と言うと良いことづくしみたいだけど、妻は家事分担や考え方の違いに不満もあったでしょう。何事も激論する夫婦だねと周囲から驚かれたことがある。対話のつもりでしたけどね。
僕はルーズなことが嫌い、妻はおおらかな性格だったけど、一致していたのは根本的な子育ての方針でした。「自分たちの生き方を押しつけない」ということ。全共闘の友人の中には、子どもを大学に行かせない人もいた。でも僕らは「好きにやったらいい、でも世間の常識や厳しい現実も一応頭に入れるように」と伝えた上で、子どもにまかせた。4人とも生意気でしたからね。進学を希望した時の学費を用意するために、僕は10年ほど予備校でも働きました。
《子どもたちは映画制作、劇…